U-FORUM MUSEUM
宇フォーラム美術館
スケジュール
展覧会情報
概要
平松 輝子
二紀 和太留
坂田 一男
ご連絡先・交通案内
■ 宇フォーラム・KV21 第46回展
展覧会の様子を見る
場所:
期日:
入館料:
宇フォーラム・KV21 国立市東4-21-10
2010/03/18(木)〜04/04(日)木・金・土・日のみ開館 PM1:00〜5:00
\500円 会員無料
作品紹介
伊藤英治

平松輝子

ニ紀和太留

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13

1
 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16

1 2 3 4 5 6 7

作者プロフィール
■伊藤英治
 _覚書_
〈人生〉
今年は72歳になる。人生そう長くはないと感じる歳になった。絵を描くしかないと決めて人生をやってきたが、生活が先に来るので回り道をしていたところ先がなくなってしまった。60歳前後からやっと自分の描きたいものが見えてきたので夢中でやっているうちに作品が家のスペースを占拠し始めてしまった。そんな状況も「非常事態」の一つなのだが、もちろん今日の社会の事情を「非常事態」というタイトルとしたのは言うまでもない。

〈展示〉
この度、縁あって、宇フォーラム美術館企画による発表のチャンスをいただいたので、当初画業50年を回顧してみようと考えたが、主な作品は近年に集中しており20世紀末頃から約10年のテーマに沿った作品を集めた展示とした。

〈テーマ〉
還暦を迎えた1998年にニューヨークのWTCの展望フロアーを見学した。その3年後の2001年あのWTC ビル崩落の事件があった。旅客機の激突、ビルの炎上崩落をTVで繰り返し見た。あまりのショックで以来私はトラウマを抱えてしまった。2001年11月、911シリーズの第一作(「旅の次第01」)が生れた。更に第2作、第3作と続くが、それまで描いていたモチーフが色あせて見えた体験であった。その後大事件があると自分のモチ−フだと考えてしまう。中越地震、福地山線脱線事故、阪神淡路地震・・・と憑かれたようにテーマを選んでいた。災害ではスマトラ沖の津波、中国の地震、ハイチ、チリと続く。ここ10年に描いた多くの作品はまさに地球の「非常事態」であった。

〈オブジェ〉
私の絵画は911以後まもなく顕微鏡の鏡面に映った病原菌のように「缶」が忍び込んできて住み着いてしまった。路上で発見したものだ。「災害」や「クラッシュ缶」は何処から来るのかについてある原体験が存在しているように思う。一つは幼児期の東海大地震、そして戦災、戦後の焼け跡闇市の体験、更に高校時代の木造校舎全焼等である。「クラッシュ缶」はやがて愛すべきオブジェとなった。

〈意義〉
今日の美術は科学と合理性の流れを受け継ぐ写実絵画や抽象美術と、「ダダ」や「シュルリアリズム」のように拒否や不条理を本質に掲げた美術の展開もある。私の絵画は後者に近い傾向となっているが、今日の現実や今の自分の想いを表す最もよい手段となっている。20代のころ抽象絵画を試みたが1960年代の一時期だった。フランスの巨匠レジエ、オザンファン、ジャンヌレ、坂田一男の流れを汲む平松輝子、二紀和太留の両作家とともに 宇フォーラム美術館で同時開催できるのは、私にとって意義深いもので、この個展の実現をうれしく思っている。勧めてくださった平松朝彦館長はじめ御支援いただいた多くの皆様に心より感謝申し上げたい。

(2010,3,18) 伊藤英治


・伊藤 英治「非常事態」について
昨今の美術界では「身近な何気ない日常を描いた」というものが目に付くように思う。それは作家たちの興味の対象が「私的」なものであるということだ。それにたいして伊藤英治さんの「非常事態」はそうしたものにたいするアンチテーゼなのだろう。
第二次世界大戦から現在まで、世界では破壊活動がとぎれたことはない。9.11、福知山線脱線事故、などのテーマに共通なのは物理的衝突であるが、道路上のつぶされた空き缶との類似性をどうとらえるか。つぶされた空き缶は理不尽な社会の圧力にたいして抵抗できない個人の象徴なのだろう。
作家はそうした危機的状況を「非常事態」として無関心な人々に警告を発する。
社会的な出来事にたいして敏感に反応する繊細な感性は、現在の芸術家として少数派である。
今回は100号の大作が揃った見ごたえのある展示となった。アメリカ、ニューヨークの画廊に入ったような圧倒的存在感を持つ展示は、通常の日本人の個展のイメージを大きく変えるものだ。                                     

宇フォーラム美術館館長 平松朝彦


「ポンペイで見た夢」 F120 1997年作
阪神淡路大震災があった翌年、イタリアのポンペイを訪ねた。強烈な印象が脳裏に焼きついたのを覚えている。大自然の前に文明がいかに脆いかを知らされた。この作品を制作した年、ハレー彗星が現れたので画面に描いた。後日神戸の防災センターや、震災記念公園を訪ねたが、災害のすさまじさを実感した。

「旅の次第01」 F100 2001年作
2001年アメリカで起きた同時多発テロ事件はまさに「非常事態」であった。別稿覚書にも記したが、この作品以後大きな社会事件があると自分のモチーフと思うようになってしまった。空中に舞ったマイヨールの彫刻「河」は「戦争の惨禍」という原題であった。ルーブルとブリュッセルの美術館で取材した。

「旅の次第02」 F100 2002年作
クラッシュ缶は路上で拾い集めたものであるが、並べてみるとウォーホルのキャンベルスープとは一味違った趣となった。缶が箱にいっぱいになったこのころ、初めて絵の主役に登場した。バックの画像とは関係ないが不思議と馴染んでくる。缶は文明を蝕むウイルスのようだ。背景は9,11 同時多発テロを報じた新聞紙面。

「2001・9・11」 F120 2003年作
ポスターのように絵の中に文字が入った作品。100年前にピカソたちが始めたものだ。彫刻のシルエットの中にWTCビルの炎上が見えている。マグリットがシュールリアリズムというならば、この作品はシュール的といえるかも知れない。マグリットもレジエもウォーホルも、元デザイナーだったといわれている。

「予 兆」 F60 2004年作
自由の女神が見られるというのでフェリーに乗った。海上からマンハッタン島の高層ビル群が遠ざかっていくところをカメラに収めた。後にそのときの一枚を見ていてイメージした作品。WTCに向かうボーイングは映画の一こまのようだ。以前アニメ制作で美術デザインの経験があるが、その影響があるのだろうか。

「コレクション04」 F120 2004年作
中越地震は神戸に次ぐ大地震であった。川が土砂でふさがれ家々が水没した。水没したバスの乗客は屋根の上で一晩過ごし、夜が明けてヘリコプターで救出された。美しい棚田もずたずたになった。土砂に埋もれた車の中から勇太ちゃんがレスキュー隊に救い出された。災害は忘れた頃にやってくる。昔東海地震を経験した。

「ストップ・ザ・タイム」F120 2005年作
ニューヨークの旅で、とびきり印象が深かったのがWTCビルの展望フロアーからの眺めだった。2001年に自爆テロによって崩壊するとは予想にもしなかった。当時のスナップ写真の一枚を見ていると、そこに激突寸前のボーイングが重なって見えた。

「ささやく羅漢」 F30 2006年作
川越市の喜多院境内に五百羅漢がある。有名なささやき羅漢があって人気を呼んでいる。この作品ではWTCビル炎上が背景にあって二人の羅漢さんがささやき会っている。会話を想像してみる楽しさを考えて描いた。ディペイズマン はシュールの手法で異なる図像の違和感を敢えて行うが、さてこの作品での効果は・・・?
 
「散 華」 F100  2007年作
WTCビルが崩落したときのすさまじい粉塵は強く脳裏に残っている。2001年の作ではマイヨールの彫刻が現れたが、ここではクラッシュ缶に変わった。今年の映画アカデミー作品賞は「ハート・ロッカー」という作品であった。イラクにおける爆弾処理専門の兵士の話だが、爆発シーンは911とダブるものがあった。

「クラッシュ・F」 F120 2007年作
2004年10月23日に発生した福知山線脱線事故は強い衝撃であった。あの重い車両がスピードを上げながらカーブのところで線路から飛び出してしまったのだ。事故の原因と責任をめぐって今も解決が得られないままになっている。二度とあってはならないという気持ちと鎮魂をこめて作品を描いた。
 
「かもめ」 SM  2007年作
阪神淡路大震災で生じた膨大な廃棄物が海岸付近に集められていた。かもめがその上空にたくさん飛んでいる。
そんなグラビアからイメージしたものだが、クラッシュの究極ともいえる光景であった。今年チリの地震で日本の各地に津波が襲った。本格的「非常事態」がやってこないことを祈るばかりだ。

「地球2008」 F100 2008年作
地球の温暖化こそ人類の危機と呼ばれて久しい。「不都合な真実」なる著書も現れて映画にもなった。フィヨルドに崩れ落ちる氷河の映像を見ていると、やがて北極圏の氷がなくなってしまうのかと思う。CO2の削減数値を高く掲げた新政権が発足した。省エネ思考も高まりつつあるが、今も氷が解け続けているはずである。

「宇宙が観た地球」 F10 2008年作
背景の図は9、11事件の日、宇宙の飛行士が見たニューヨークの煙である。800キロ上空から見るとこのように見えるのか!と感心したものだ。地球の写真から思うことは、日ごろ地上で描いている風景画は地球のディテールなのだという発見だった。ちょっと視点を変えたことで自然が新鮮に見えたような気がしている。

「塵」 F20 2008年作
「クラッシュ缶」もこのレベルになるともはや“塵”だ。あらゆるモノたちが元素から成り立っているならば、そこに帰っていく姿と言ってもよい。古稀を過ぎた身にはそんな感慨がリアリティーを持ってくるから不思議だ。明日のわが身と思えば朽ちた缶にもいとおしさを感じないわけにいかない。

「クラッシュWTC」 F100 2009年作
WTC(ワールド・トレード・センター)崩落の映像や報道写真には素晴らしいものがある。そういう中のあちらこちらを背景に利用させてもらうことがある。文章には引用という行為があるので絵画にもあってもよいと思う。引用という行為にはオマージュの意も含まれていると思う。この作品あくまでクラッシュが主題なのだが。  

「クラッシュ911」 F150 2009年作
911シリーズでは一番の大作。この個展の目玉作品の一つ。このシリーズでは8年目の作品になる。アメリカのアフガン・イラクでの報復戦争はまだ続いている。オバマ政権になって終結するのだろうか。すでにWTCの死亡人数より現地での戦死者の数が上回っているというではないか。「非常事態」が慢性化しつつある。

「コレクション」 F4 2010年作
背景にイリュージョンを排除し、クラッシュ缶のみを描いた。愛すべきオブジェとなっている。偶然、不思議を追求したシュール的モチーフの一つだ。秩序やシンプルを求めた抽象美術とは対極のモチーフだ。合理か不条理か、どちらにも美は存在しているように思うが、振り返ると揺れ動いていた自分が見える。
                     
[経歴]             
日本美術家連盟会員  美術団体新構造会員 上尾市美術家協会会員 上尾現代作家協会会員 
伊藤英治(1938〜)略歴  2010.3,18

1938年 静岡県浜松市生まれ    
1945年 戦災、終戦、疎開を体験       
1956年 静岡県立浜松西高校卒業、中村宏主宰「コッペ会」に参加(浜松市)      
       「ストロンチューム90」展(富美七郎他)(浜松市)
1960年 武蔵野美術学校入学                                  
1962年 第1回個展(銀座・村松画廊)(以後27回各所で開催)                       
1964年 東映動画に34年間勤務、アニメーション制作に従事。
       背景画家、美術デザイナーとして多数の作品担当。(少年忍者風のフジ丸、魔法使いサリー、バビル二世、
       長靴をはいた猫、キャンディ・キャンディ、 花の子ルンルン、キューティ・ハニー、あさりちゃん他)、
       オリジナル・キャラクター「アルカイックナム」創作、商品化                     
1965年 前衛美術グループ「ジャックの会」に参加。」、「全日本アンデパンダン展」「岐阜アンデパンダンフェスティバル」に出品
1978年 「緑芽会展」に出品、(〜09)                                  
1983年 「新構造展」に初出品(〜09)(91年会員推挙)受賞2回                     
       上尾市美術家協会会員推挙(市展、協会展、洋画部展に毎年出品)                  
1998年 東映アニメーション(株)退社  アメリカNY他美術研修         
       東映アニメーション研究所講師 イラスト講座講師                          
       第11回日本油彩創作家協会展に出品、以後毎回出品                         
2000年 絵のまち尾道四季展(尾道市)出品                                 
2001年 「日本油彩創作家協会展」(銀座)に出品(〜09                         
2002年 岡山理科大付属専門美術講師(〜04)                               
2006年 伊藤絵画教室開設(伊奈町小室丸山)                                
2007年 上尾現代作家協会展(以後毎年出品)第80回記念新構造展及び広島展
2009年 第81回新構造展(審査員) 「彩の会」講師

■ 平松輝子
水神讃歌インスタレーション
日本は水が豊かな国である。弥生時代に水田によるコメ作りが行われたが、それは日本が山国であり雨が降り、多くの川を生み出したことによる。さらに日本の自然の象徴ともいえるのが、柔らかな竹林である。一方、水は透明である。透明であるがそれが水とわかるのは光を反射するからである。この滝のインスタレーションは銀の絵と竹と白い小石により極めて理詰めに構成された。銀は川を表し、さらにそれは太陽、もしくは月の光を連想させる。それは日本の自然を象徴する小世界なのである。

[経歴] 一部
1921 東京生まれ
1949−56 坂田一男(レジェの助手)に師事、A・G・O同人
1954・63・64 個展、タケミヤ画廊・サトウ画廊・日本橋画廊
1965・66 ニューヨーク個展 AMサックスギャラリー(ニューヨーク)
     ロスアンゼルス個展 ギャラリー66(ロスアンゼルス)
1967 国際青年美術家展、受賞(池袋西武)
1968 現代日本美術展(スタンフォード美術館・グリニッチ美術館)
1971 2人展《大自然と人間》ピナール画廊(東京)
1972−82 ドイツ クレフェルド  
1974 国際現代美術見本市(デュッセルドルフ)
     デュッセルドルフ美術館NRW州展(デュッセルドルフ)
1975 個展、カイザーウィルヘルム美術館(クレフェルド)
     個展、ケルン日本文化会館(ケルン)
1977 個展、コンスタンツ美術館(コンスタンツ)
1978 個展、ハイデルベルグ美術館(ハイデルベルグ)
1979 個展、日本大使館後援、西ドイツ政府主催庭園ショー、(ボン)
1980 個展 日本総領事館後援 ミュンヘン民族博物館(ミュンヘン)
1983 個展、ウェアハウスギャラリー・ギャラリー上田(東京)
1987 個展、デュッセルドルフ州立美術館(デュッセルドルフ)
1987・88・89 墨展(現代中国芸術センター、大阪)
1990 P3美術館
1995 個展、ハイデルベルグ美術館(ハイデルベルグ)
1999 東京国立市に宇フォーラムKV21美術館創立
     若い美術家の支援のため企画展を開催

[Teruko Hiramatsu’s Histry]

-Born in Tokyo, 1921
-Studied with Kazuo Sakata (assistant of Fernand Leger)
Member of Avant Garde Okayama. Groupe headed by Kazuo Sakata

One-person Exhibitions

1954 Takemiya Gallery, Tokyo
1963 Sato Gallery, Tokyo
1964 Nihonbashi Gallery, Tokyo
1966 A.M.Sachs Gallery, New York
1967 Ichibankan Gallery, Tokyo
    Gallery Beni, Kyoto
1970 American Culture Center, Tokyo
1973 Foreign Institute, Krefeld
1974 Remscheid Municipal Theater, Remscheid
1975 Kaiser-Wilhelm Museum, Krefeld
    Japan Culture Center, Koln
1976 Gallery Sorko, Nuremberg
    Studio, Wuppertal
    Gallery Krull, Krefeld
1977 Kanagawa Prefectural Gallery, Yokohama
    Hagener Kunstkabinett, Hagen
    Konstanz Museum, Konstanz
    Artists Assosiation, Marburg
1978 Heidelberger Museum, Heidelberg
1979 Dahlem National Museum, West Berlin
    West German Government Garden Exhibition, Bonn
1980 Rheda-Wiedenbruck Ministry of Culture, West Berlin
    Gallery Sorko, Nuremberg
    Kempen Municipal Museum, Kempen
    Munich Fork Museum, Munich
    Solingen Municipal Theater, Solingen
    Dortmund Foreign Munistry, Dortmund
1981 Gallery Pran, Korchenbroich
    State Adult school, Hochsaueriand
    Trier Museum, Trier
    Badsalzfulen Ministry of Culture, Badsalztfulen
1983 Gallery Ueda-Warehouse, Tokyo
1984 West Germany Culture Center. Tokyo
    Striped House Museum of Art. Tokyo
1985 Gallery Pran, Korchenbroich
1987 Landes Museum, Dusseldorf
    U-Forum opening exhibition, Tokyo
1989 Modern China Art center, Osaka
    U-Forum exhibition2, Tokyo
1990 P3 Museum, Tokyo
1995 Heidelberger Kunstferein, Heidelberg
1999-2008 U-Forum exhibition, Tokyo
    Selected Group Exhibitions
1940-41 Tokyo Municipal Museum, Tokyo
1950-55 Tenmaya, Exhibition of AGO, Okayama
1947-62 Muramatsu Gallery, Tokyo
1966 Gallery 66, Los Angels
    Brandeis University Museum
    Jersey City Museum, New Jersey
1967 International Young Artists Exhibition, Tokyo
1968 Contemporary Japanese Art Exhibition,
    Stanford Art Museum, Greenwich Art Museum
1971 Piner Gallery, Tokyo
1974 International Contemporary Art Exhibition, Dusseldorf
    Art Museum NRW State Exhibition
1976 Japan-France Modern Art Festival, Grand Palais, Paris
1978 Gallery Vondran, traveling group exhibition, Dusseldorf, Bonn, Munich
1981 Oedo Graphic Exhibition, Royal academy, London
1987-89 Exhibition ”SUMI”, Modern China Artcenter, Osaka
1989 Exhibition ”World of SUMI”SEIBU Ohtsu,Ohtsu
1990-2007 U-forum Museum, Tokyo

Collection
Japan Society, New York
Kaiser-Wilhelm Museum, West Germany
Kunst Museum, Dusseldorf, etc

■ 二紀和太留
テーマ「平和」
「二紀和太留の本名は平松和太留であるが、略すると平和である。この美術館の開設の契機として戦争と平和がある。二紀は1921年に熊本で生まれ,1943年に海軍に入隊し、戦艦榛名に乗船しマリアナ沖海戦、レイテ沖海戦に参戦しながら奇跡的に生還した。
しかし、これらの戦いで多くの戦友が亡くなった。そして戦後、彼らのことを一生、気にかけながら作品を描いた。作品に表れる輝くような光は彼等にたいする鎮魂の意味がある。
この美術館では奥の展示室に巾4mの作品「天の光マンダラ」を常設展示しているが、この部屋に入ると、「異次元に来たようだ」と多くの方が言われる。来館者の感想文の一つを紹介する。
「この平和な時代の陰に多くの方々の貴い命が失われていった事を思うと、いつも、いつも、8月15日に深い反省の念を思い起こします。戦争を知らない世代と残り少なくなった戦争経験世代と、もっといつまでも話をして、二度と繰返さない努力をしていかなければならないと思います」

[経歴]一部
1921  熊本県荒尾市生まれ
1942〜45 熊本師範学校(熊本大学)卒。海軍に入隊。
1945〜51 熊本県展、独立美術協会奨励賞、K氏賞
        熊日新聞社賞、大牟田美術展くろだいや賞、武蔵野美術大学中退
1952〜56 坂田一男師事。第2〜4回A・G・O展参加
1962〜63 個展 村松画廊、新宿第一画廊(東京)
1966〜70 渡米 第25回ナショナル美術展・ジャージーシティミュージアム入賞
        個展 カプリコーンギャラリー・スタジオ90、
         ビューイング・ホイットニーミュージアム オブアメリカンアート
         (ニューヨーク)
        アートフェスティバル、コンテンポラリーアジアンアーチスト展、
        アートレンディング・ニューヨーク近代美術館(ニューヨーク)、
1972〜73 ピナールギャラリー(東京)、スタジオ10(ニューヨーク)
        個展 ケルナークンストキャビネット(ケルン)
        コンテンポラリードイツアート(クレフェルド)
        個展 ギャラリーナーグル(ウィーン)
        個展 日本文化センター(ケルン)、
        インターナショナルコンテンポラリーアート展(デュッセルドルフ)
1975〜76 NWF州立ウィンター展(デュッセルドルフ美術館)
        個展 ジャパンクラブ(デュッセルドルフ)
        個展 紀伊国屋ギャラリー(東京)
        個展 アートサロン三番館(東京)
        ジャパンナウ(サンフランシスコ)、東京都立美術館、
1977〜79 個展 多摩信ギャラリー(東京)、個展 神奈川県立ギャラリー(横浜)
        個展 姫路ギャラリー(東京)、 個展 熊日ギャラリー(熊本)
        個展 アルゲンチュームギャラリー(クレフェルド)
1980〜81 個展 長崎県立美術館(長崎)、個展 荒尾市社会教育総合センター(熊本)
        個展 独日交流ソサエティー(デュッセルドルフ)
1983    個展 紀伊国屋ギャラリー、個展 ギャラリー岳(東京)
1985〜86 ギャラリープラン(西独)、埼玉県立近代美術館(埼玉)、
        個展 青梅市立美術館(東京)
1991    個展 ストライプハウス美術館(東京)
1997    死去

back